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イザク

Author:イザク
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昔のSF。宇宙とかロボットとかそういうSFっぽいもの。
本一般。映画一般。特撮ヒーロー。仏像。友情モノ。
西尾維新先生。舞城王太郎先生。荒木飛呂彦先生。奥泉光先生。円城塔先生。津原泰水先生。山岸涼子先生。松本大洋先生。三上骨丸先生。白鵬様。食パンちゃん。

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ピースピース
(2014/01/28)
ジーン・ウルフ

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ジーン・ウルフが傑作「ケルベロス第五の首」の次に書いたという作品。ご自身が幻想小説作家でもある西崎憲さんの手によって翻訳されました。

ジーン・ウルフといえば「難解」で知られており(笑)、実際「ケルベロス第五の首」も「デス博士の島その他の物語」も、興奮するほど面白かったのですが正直何が何やらサッパリ分からなくて、人に勧めることも出来ず寂しい思いをしております。
しかしまあ、円城塔もそうなんですが、私にとってはジーン・ウルフは理解できずとも文面を追っているだけで何となく楽しめる貴重な作家なので、今回も覚悟を決めて読み始めたのですが・・・

意外!
普通に面白かったです。アメリカの架空の街、キャシオンズヴィルの古い名家、ウィア家の最後の一人、オールデン・デニス・ウィアが老人となり、死の床から妄想と記憶の中で自分の生涯をたどる、というような話ですが(多分)、追想の中で自由自在に時間をさかのぼったり行き来したりする感じが、ヴォネガットの「スローターハウス5」みたいだし、かつては華やかに栄えた名家の成員が次々に死に絶え、ついには最後の一人になってしまうのにはマルケスの「百年の孤独」をちょっと思いだしたりしました。
また、特徴的なのが、デニスが子供のころに聞かされたおとぎ話や読みかけだった絵本のストーリーなどなど、一冊の本の中にサブストーリーともいうべき小さなストーリーが無数に詰め込まれていること。
おそらく、ジーン・ウルフのことですからこれらのストーリーにも有機的にからみあった深い意味が隠されているのでしょうが、自分の読解力ではそんな深読みはできず、ただ「面白い話がいっぱいあるなあ」で終わってしまいましたがそれでも十分満足です。
「デス博士の島」でも描かれていた、孤独な少年の本への偏愛がしのばれるのも、作者自身の子供時代を思わせてとても共感できます。

表紙に描かれているのは、主人公デニスが幼いころに一緒に暮らしていた変わり者だが美しいオリヴィア叔母が手に入れた、中国製の陶器の卵の置物です。多分、何かを象徴してるんだろうなあ・・・分からないけど(苦笑)
この、オリヴィア叔母をめぐる思い出話がことさらに面白いのです。特にオリヴィア叔母に求婚するスチュアート・ブレインの若き日の就職活動の話はこの小説の白眉といってもいいと思います。
話の流れが時系列に沿っていないので、この魅力的な叔母が結局最後はどのようにして亡くなったのかもわからないし(訳者あとがきでは、求婚者の一人に轢き殺されたという説を紹介しています)、触れられているエピソードのほとんどが結末を欠いています。
例えばデニスが中年になって知り合った女性、ロイスとは深い関係になっていながら、いつ、どうやって別れたのかは描かれておらず、しかも読んでいる最中は「描かれていない」という事にすらなかなか気づかないので、全体が夢の中のように流れて行く感じなのです。ただ、一度流れに乗ってしまうとその感覚が心地よく、死の直前に人生を走馬灯のように見る、というのはこんな感じなのかとすら思います。

訳者あとがきを見ると、文章に書かれていない部分でのデニスの行動をいろいろ推測して書いてあり、それを読むと「確かに、そうかもしれない」と思う部分がたくさんあります。ハッキリ言うと、デニスの周囲でいつの間にかいなくなった人はデニスが直接間接に殺したのではないか、という示唆です。(前述のロイスもその一人)
華やかな大家族の中で幼少期を過ごしながら、一生自分の家族を作らず、孤独のうちに死を迎えるデニスの姿を見ていると、その示唆が妙に説得力を持ってくるのです。

訳者あとがきによると、「ウィアはすでに死んでいて、幽霊として物語を語っている」という解釈が有力らしいのですが(西崎憲さん自身はその説には反対)、読む人がどんな風に読んでもそれっぽく読めてしまう、不思議な本だと思います。
西崎憲さんの訳文は派手さこそないのですが、無駄がないというかクセがないというか、透明な水のようで、静謐なこの本の世界に良く合っていると思います。
ここまで読んで、「なんだか辛気臭そうな本だな・・・」と思われた方の為に、冒頭の部分をちょっとだけ引用しておきます。私が「意味は分からないけど普通に面白い」「文面を追っているだけで何となく楽しめる」と言っている意味がなんとなくお分かり頂けるかと思うのですが・・・。

 判事の娘のエリナー・ボールドが植えた楡の木が昨夜倒れた。眠っていて音には気が付かなかったが、散らばった枝の数や幹の太さから考えると、おそろしい音があたりに響いたにちがいない。一応目は覚ましたのだ---暖炉の前の寝床で上体を起こした---けれど意識がはっきりした時には、聞こえるのは屋根の雪が溶けて軒から滴る音だけだった。ぼくは思いだす。心臓がどきどきしていて、発作がおきるのかと心配になり、それから何となく発作が起きたから逆に目がさめたのではないか、もう自分は死んでいるのではないか、と考えた。
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ゆみに町ガイドブックゆみに町ガイドブック
(2011/11/26)
西崎 憲

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またも西崎憲さんのファンタジイ。
この本、タイトルも表紙絵も、いかにも若い女性むけのメルヘンっぽい軽いファンタジーのような印象で、損をしていると思います。
読んでみても実際、前半部分はほとんど、本の好きな女性の一人称の語りで、日常的な生活ぶりが淡々と語られ、「ほんとにこれ、ファンタジイなの?」と思ってしまうのですよ。ところが半分くらいまで来た所で突然、何かが解き放たれるようにして現実の世界と虚の世界、どこともわからない異界の話がすごい勢いで展開していきます。

1)ごく普通の町であるゆみに町に暮らす自称作家の女性の話
2)人知れず、その町を設計しプログラミングし続ける男の話
3)ゆみに町とまったく関係ないけれどどこかつながっている異世界の話

この3つのパートは互いにつながりを持っているのですが、そこには確かな法則や関係性がなくて、後半は特に伏線と謎だらけで突き進んでいくような感じなのです。でも私はそういうのがわりと好きだったりするので意味がわからないながらも惹きつけられて読みました。
最後のほうは、話は明らかにカタストロフに向けて加速しているかに見えるのに、ページ数がどんどん少なくなっていって(えっ。コレどうやって終わらすつもりなの?)とか思いながら読んでいました。
結論からいうと、ラストは取ってつけたようで唐突だし、前半のあの日常生活の部分と後半の幻想小説の部分がうまくミックスされておらず、習作的というか完成度が低いというか、そんな印象を受けました。

ただこの人、この世ならぬものを視る、そのイマジネーションみたいなのが強くて、簡潔な文章力、描写力ともあいまって、1冊の本としてはまとまりがなく思えるものの、読んでる最中のトリップ感がすごく良いんです。
今までに読んだ、面白かった本をあれこれ思い出しました。
虚の世界と実の世界が、互いにからんでいく面白さには村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を。
外の世界に翻弄される、異世界の不思議な生き物たちのつつましい暮らしぶりには梨木香歩「沼地のある森を抜けて」を。
凪いだ水面のような静けさにはいしいしんじの「みずうみ」を。
謎は謎のままに何の説明もなく開けっ放しで終わっていく感じには、奥泉光の「葦と百合」を。

これらのファンタジーにくらべると、この「ゆみに町」はまだまだ荒削りという印象なのですが、やはり個人的に、好きか嫌いかでいうと、好きだなあこの人。
早く次の本が読みたいです。

蕃東国年代記蕃東国年代記
(2010/12)
西崎 憲

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西崎憲という人が今、すごく気になっていて、まだこれで2冊目なのにカテゴリも作っちゃいましたw
この「蕃東国物語」は第十四回日本ファンタジーノベル大賞受賞後、第一作です。そのせいか、王道ファンタジー色がやたら濃いです。
「蕃東国」というのは平安時代の日本に良く似た、歴史上の架空の国ですが、「年代記」と呼べるほど歴史が動いていく感じはしません。むしろ、夢枕獏の「陰陽師」シリーズに近い、時代も登場人物も限られた連作集です。
もっと言えば、世間に山ほどある「平安ファンタジイ」とほぼ同じです。
正直、なぜこれを普通に平安ものとしなかったのか、理解に苦しみます。
架空の国を作ったからには、その国の歴史から言語、文化、風俗まであらゆる細部を作りこんで欲しいし、またそれ作るのが架空の国の年代記の楽しさなのではないかと思っていたので。
この本では、蕃東の文化はほとんど平安貴族の文化と同じで、それがどうも物足りないです。だったら普通に平安ファンタジイでいいじゃん! って思ってしまいます。
(表紙絵からしていかにも女子供向けなんですけど?w)

しかし、そんな欠点を抱えながらも、一見普通の王道ファンタジーに見えながらも、やはりこの西崎憲さんという人、ただ者ではない、というか、どこか定石を踏み外していくような所があり、読んでいてスリリングなんですよね。文章も、凝った感じはなく淡々としているのですが、無駄がなくどこか張りつめたような文体でありながら、行間に色彩や香りを感じさせるとでもいいますか、愛想も化粧っ気もない美女みたいな感じです。

後半、どんどん異界に踏み込むように幻想味が強くなっていく、漂流する4人の男女の物語「霧と煙」、あと、美少女に求婚するために伝説の三つの珠を探しに行く、という王道中の王道のストーリーでありながら、現実味と幻想味のバランスがすごく良く、時折深い穴を覗き込むような心地のする「気獣と宝玉」が特に好きです。
でも、その他の短編も、どれもウッスラと幻想味があって、どこか夢の中の話のようです。

津原泰水がもっとひんやりと地味になったような感じ、ですかね・・・。

飛行士と東京の雨の森飛行士と東京の雨の森
(2012/09/10)
西崎 憲

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「世界の果ての庭」で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した西崎憲の幻想味の強い短編集。
非常に感想が書きづらいです。
面白いか面白くないかと言えば、面白くない(そもそも、ストーリーと呼べるものがほとんどない)。
文章が華麗とか、想像力が圧倒的とかいう事もない。
でも、読みはじめたら世界に引き込まれて止められない。

この、外連味のなさは純文学に近い感触で、実際、よく見るとほとんど幻想小説ではないのだけれど、なぜか読後感は良質のファンタジー。日常的な話も多いのですが、どこか、まったく違う場所に連れていってくれるような、現実の世界が飛ぶような感覚があります。遠く、距離、といった言葉の頻度が高く、今ここに居ながらにして魂だけが遠い異国に旅立っているかのような・・・。
特に表題作「飛行士と東京の雨の森」は、ウェールズから東京にやって来る少女の話ですが、「ぼく」とその少女は直接の関係がなく、友人の話として物語られ、「物語として面白い」というのと真逆の、何か静謐で硬質な、植物的あるいは鉱物的とでもいいたいような美しさをたたえています。
表題作の中には、例えば次のような文章もあります。

 遠方の場所を想うというのは特別なことだ。(中略)たとえば街の雑踏のなかでどこか遠い地を想うとき、その人物は灯台のようなものに変じているのではあるまいか。


・・・なにか、静かなる詩情といったものにあふれているのがお分かりいただけるでしょうか。
他の短編も、濃淡の差こそあれ、同傾向の詩情に染まっています。文章も、一見なんという事はないのですが、どこか緊迫をはらんでいて、読み飛ばすことができません。
普通のコップだと思って手に取ったら、厚さ0.1mmのガラスで出来ていることに気付いた、みたいな感じです(分かりにくくてスミマセンw)。

この人の本を読むのは「世界の果ての庭」に続いて2冊目です。「世界の・・・」の時は普通の幻想小説だと思ってあまり印象に残っていなかったのですが、何か文体だか世界観だかが確立されたような感じがします。個人的に非常に気になるテイストなのでしばらく注目してみます。

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