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ピースピース
(2014/01/28)
ジーン・ウルフ

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ジーン・ウルフが傑作「ケルベロス第五の首」の次に書いたという作品。ご自身が幻想小説作家でもある西崎憲さんの手によって翻訳されました。

ジーン・ウルフといえば「難解」で知られており(笑)、実際「ケルベロス第五の首」も「デス博士の島その他の物語」も、興奮するほど面白かったのですが正直何が何やらサッパリ分からなくて、人に勧めることも出来ず寂しい思いをしております。
しかしまあ、円城塔もそうなんですが、私にとってはジーン・ウルフは理解できずとも文面を追っているだけで何となく楽しめる貴重な作家なので、今回も覚悟を決めて読み始めたのですが・・・

意外!
普通に面白かったです。アメリカの架空の街、キャシオンズヴィルの古い名家、ウィア家の最後の一人、オールデン・デニス・ウィアが老人となり、死の床から妄想と記憶の中で自分の生涯をたどる、というような話ですが(多分)、追想の中で自由自在に時間をさかのぼったり行き来したりする感じが、ヴォネガットの「スローターハウス5」みたいだし、かつては華やかに栄えた名家の成員が次々に死に絶え、ついには最後の一人になってしまうのにはマルケスの「百年の孤独」をちょっと思いだしたりしました。
また、特徴的なのが、デニスが子供のころに聞かされたおとぎ話や読みかけだった絵本のストーリーなどなど、一冊の本の中にサブストーリーともいうべき小さなストーリーが無数に詰め込まれていること。
おそらく、ジーン・ウルフのことですからこれらのストーリーにも有機的にからみあった深い意味が隠されているのでしょうが、自分の読解力ではそんな深読みはできず、ただ「面白い話がいっぱいあるなあ」で終わってしまいましたがそれでも十分満足です。
「デス博士の島」でも描かれていた、孤独な少年の本への偏愛がしのばれるのも、作者自身の子供時代を思わせてとても共感できます。

表紙に描かれているのは、主人公デニスが幼いころに一緒に暮らしていた変わり者だが美しいオリヴィア叔母が手に入れた、中国製の陶器の卵の置物です。多分、何かを象徴してるんだろうなあ・・・分からないけど(苦笑)
この、オリヴィア叔母をめぐる思い出話がことさらに面白いのです。特にオリヴィア叔母に求婚するスチュアート・ブレインの若き日の就職活動の話はこの小説の白眉といってもいいと思います。
話の流れが時系列に沿っていないので、この魅力的な叔母が結局最後はどのようにして亡くなったのかもわからないし(訳者あとがきでは、求婚者の一人に轢き殺されたという説を紹介しています)、触れられているエピソードのほとんどが結末を欠いています。
例えばデニスが中年になって知り合った女性、ロイスとは深い関係になっていながら、いつ、どうやって別れたのかは描かれておらず、しかも読んでいる最中は「描かれていない」という事にすらなかなか気づかないので、全体が夢の中のように流れて行く感じなのです。ただ、一度流れに乗ってしまうとその感覚が心地よく、死の直前に人生を走馬灯のように見る、というのはこんな感じなのかとすら思います。

訳者あとがきを見ると、文章に書かれていない部分でのデニスの行動をいろいろ推測して書いてあり、それを読むと「確かに、そうかもしれない」と思う部分がたくさんあります。ハッキリ言うと、デニスの周囲でいつの間にかいなくなった人はデニスが直接間接に殺したのではないか、という示唆です。(前述のロイスもその一人)
華やかな大家族の中で幼少期を過ごしながら、一生自分の家族を作らず、孤独のうちに死を迎えるデニスの姿を見ていると、その示唆が妙に説得力を持ってくるのです。

訳者あとがきによると、「ウィアはすでに死んでいて、幽霊として物語を語っている」という解釈が有力らしいのですが(西崎憲さん自身はその説には反対)、読む人がどんな風に読んでもそれっぽく読めてしまう、不思議な本だと思います。
西崎憲さんの訳文は派手さこそないのですが、無駄がないというかクセがないというか、透明な水のようで、静謐なこの本の世界に良く合っていると思います。
ここまで読んで、「なんだか辛気臭そうな本だな・・・」と思われた方の為に、冒頭の部分をちょっとだけ引用しておきます。私が「意味は分からないけど普通に面白い」「文面を追っているだけで何となく楽しめる」と言っている意味がなんとなくお分かり頂けるかと思うのですが・・・。

 判事の娘のエリナー・ボールドが植えた楡の木が昨夜倒れた。眠っていて音には気が付かなかったが、散らばった枝の数や幹の太さから考えると、おそろしい音があたりに響いたにちがいない。一応目は覚ましたのだ---暖炉の前の寝床で上体を起こした---けれど意識がはっきりした時には、聞こえるのは屋根の雪が溶けて軒から滴る音だけだった。ぼくは思いだす。心臓がどきどきしていて、発作がおきるのかと心配になり、それから何となく発作が起きたから逆に目がさめたのではないか、もう自分は死んでいるのではないか、と考えた。
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