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イザク

Author:イザク
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昔のSF。宇宙とかロボットとかそういうSFっぽいもの。
本一般。映画一般。特撮ヒーロー。仏像。友情モノ。
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SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
(2014/06/06)
チャールズ・ユウ

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久々の円城塔の本は新刊ではなく、アメリカの作家チャールズ・ユウの作品の翻訳本。
って事になっていますが・・・。

・・・この本、読んだ人10人中9人までが「チャールズ・ユウって円城塔が作った架空の作家?」って思うんじゃないですか?
だってあまりにも、文体も内容も円城ワールドなんだもん。文体はまあ、翻訳する時に癖が出るとしても。

タイムマシンが発明された近未来(またはパラレルワールド)。
タイムマシン修理工の僕(チャールズ・ユウ)は電話ボックスくらいの空間で、非実在犬のエド、女の子バージョンOSのタミーと共に体感時間で10年暮らしている。あるとき、修理工場で「もう一人の僕」を見た僕はパニックになって「もう一人の僕」を光線銃で撃ってしまう。逃げ出した僕は「もう一人の僕」が死に際に残した言葉「全ては本の中にある」の意味をめぐって、過去の記憶を読み(語り)、自分の父親について読む(語る)。そして・・・

ここで語られる「僕」の父親というのが、なんというか・・・昔の「文学」に出て来るようなある種の典型的な不器用な男なんです。
それを、子供である「僕」の目を通して描写していくのですが、「僕」がまだ小さい時は威厳に満ち万能の天才のように思えた父親が、「僕」が成長するにしたがって、卑小な存在に見えてきてしまうこと、そのこと自体に強い悲しみを感じていることが切ない。
息子は父親を愛しているのに、その父親への尊敬が自分の中から失われてしまった事への自責の念。何と心優しい心情でしょうか。でも、これに近い気持ちは自分が大人になって、老い始めた親を見た時に誰でも大なり小なり感じる気持ちだと思います。

変人だった父への愛惜、というテーマは「良い夜を待っている」を思い起こさせる、まことに円城的なテーマ。
っていうか、円城塔ってワケわかんないSF書き、というイメージだけど、例えば「これはペンです」などを見ても、読み終わって印象に残るのはテーマである「物語る」という行為の変奏よりも、変人の叔父との愛に満ちたやり取りの方だったりするし、友情にも篤い。
この「SF的な宇宙で~」も、タイムトラベルやタイムマシンをめぐるワケわかんない外見の中身は、そんな円城的な優しさに満ちた家族小説なので、内容的にも円城塔がいかにも書きそうな話なんです。
しかも、「タイムマシンから出てきたもう一人の僕を撃ってしまう」というのは、円城の「松ノ枝ノ記」で、「僕」が翻訳する作品の内容。そして、その作品を書いたのは実在しない「僕」の友人。
・・・これってどう考えても、チャールズ・ユウ=円城塔、な気がするんですけど・・・

でも、解説などを読むと、チャールズ・ユウというアメリカの作家の経歴が語られてはいるのよね。
とすると、もしかしたら円城塔が今の円城塔になったのは、チャールズ・ユウの作品世界に触れた影響が大きいのかな。
つまり、円城がユウを作ったのではなく、ユウが円城を作った?
うーん、個人的には、この経歴自体も創作なのでは、と思っているんですが。じゃなきゃ、アメリカで円城がユウ名義で創作活動をしているとか・・・!?
一体今度は、何を始めたんだ円城塔!?

どっちにしても、円城の読者であれば、この本を読んで私と同じような疑問にとらわれるのは間違いありません。
そこまで含めての作品じゃないかと思っています。
「これはほとんど創作である翻訳なんじゃないの? この本に書かれた親子関係は円城自身の体験がもとになっているんじゃないの? 自分をさらけ出すことを良しとしない円城が回りくどい手法を使って本にしているけれども、その事自体が、彼自身の親への気持ちの複雑さを表現しているんじゃないの?」
そういう、一つの表現方法としての翻訳なのではないかと。「疑いながら読むに限る本」というわけ。ヒントはやはり、「松ノ枝ノ記」なんじゃないかと。

・・・まあ深読みはともかく、この本が、久々に円城塔のピカピカでツルツルの文章を味わえる本であることは変わりありません。
私は円城作品は、内容は分からなくても文章を読んでいるだけで気持ちがいいです。
それにしても、子供の目を通して見る両親の姿は辛い。アメリカ人の夫婦ってなぜか、また一段と乾いた悲しさみたいな物がありますよね。アメリカという国自体が徐々に衰退しているからだろうか・・・。
そして「謝辞」のあとに置かれている「はじまりの物語」には特に、SFならではの美しさがあります。
時間SFと家族ネタは相性が良いのは、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」などを思い出していただければ納得できると思います。
と、いうわけでこの本は、一言でいうと泣ける本です。
私は読んでいてヴォネガットの「スローターハウス5」や筒井康隆の「残像に口紅を」を連想しました。
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