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イザク

Author:イザク
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昔のSF。宇宙とかロボットとかそういうSFっぽいもの。
本一般。映画一般。特撮ヒーロー。仏像。友情モノ。
西尾維新先生。舞城王太郎先生。荒木飛呂彦先生。奥泉光先生。円城塔先生。津原泰水先生。山岸涼子先生。松本大洋先生。三上骨丸先生。白鵬様。食パンちゃん。

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最近のピクサーの作品は、もはや子供向けアニメではなく「人間にとって絶望とは何か?」という命題に挑む哲学作品のような感じがする・・・
あと、映画が始まる前のドリカムのテーマソングを聞いているだけですでに泣けた・・・

私はピクサー映画の大ファン、同じく大ファンの下の娘とともに、封切り初日に見に行ってまいりました!
「インサイドヘッド」は、11歳のライリーという女の子の頭の中で感情の動きをつかさどる、喜び、悲しみ、ムカつき、怒り、恐怖、という5つの擬人化された感情たちの物語。
5人がライリーを幸せにすべく奮闘する物語であると同時に、両親の仕事の都合で、住み慣れたミネソタを離れ、サンフランシスコに引っ越しをして新しい学校に通うことになる、ライリーの心の動きを、5人の感情たちの行動に託して語る物語でもあります。

「トイストーリー3」「モンスターズ・ユニバーシティ」と、最近のピクサー映画は「明日への一歩を踏み出すためには、失うもの・諦めなければならないもの・手放さなければならないものが必ずある!」という、苦い人生の真実を突き付ける内容になっていて、非常に見応えがあると同時に、「夢と希望に満ちた子供たちにこんなモノを見せちゃっていいのか?」とも思ってきました。
今回の「インサイドヘッド」も、子供にはちょっと分かんないんじゃないのか・・・?
大人になって、「ああ、確かにああいう時ってあるよな」「あのころは同じように感じていたな」と多いに共感する内容ではあるのだけれど・・・。

子供から大人に成長する時期の少女が、引っ越しをして友人たちと別れ、新しい土地へ行く、という設定はジブリの「千と千尋の神隠し」や人形アニメの「コララインとボタンの魔女」と同じ。
試練を経て、子供時代を卒業し、大人の世界に一歩近づいていく、という結末も同じ。
「千と~」では、試練の内容が深層心理的というか、古い神々の世界で暗闇と対峙し若い神を救う、という象徴的な話だったのに対し、「インサイド~」では、ライリーが新しい土地にも学校にもなじめず、両親にも反抗的になりついには家出を企てる、という現実的なもの。
また、「コラライン~」では、ファンタジーの世界で母親の役をしている悪い魔女を倒し、現実の母親と和解するのですが、「インサイド~」では、ライリー自身の心の、つまり感情の変化によって両親と和解する。
ようするに「インサイドヘッド」は、子供が大人になり始める時に、ごくごく普通に起きるできごとを、普通にリアルに追っているだけなのですが、その、普通の物語の裏には、感情たちや記憶の管理人たちの活躍がある、そういう形のファンタジーです。

「千と~」だと、千尋はトンネルをくぐる間に何となく深い体験をして、何となく大人になっていく、見ている側も、「ああ、この子はこの時のことを覚えていなくても、これから先は少しずつ、しっかりと強く成長していくのだろうな」という事が何となくわかるのですが「インサイド~」はもうちょっと分析的。
ライリーの子供時代の思い出は、ほとんどが楽しいこと。
でも、引っ越しをきっかけに「怒り」や「恐怖」や「ムカつき」がどんどん多くなってしまう。「喜び」は、ライリーにいつも楽しく過ごしてもらいたいので、「悲しみ」をできるだけ排除しようとする。
でも、ライリーが両親と和解し、新しい土地で新しい友人たちと仲良くなるには、住み慣れた土地や古い友人との、そして自分の子供時代との別れを、しっかりと悲しまなければいけない。
特に、ライリーの子供のころの空想上の友達、ピンクの象のビンボンが消滅するシーン。11歳の少女の内面で消えていく、幼年期の思い出。悲しく残酷なエピソードなのですが、ライリーが成長するためには、ビンボンは消えなければならないですよね。
ビンボンがライリーの中に戻ってしまったら、ライリーは幼年期のまま、大人になれないわけだから・・・。
「悲しみ」をしっかりと味わうことで、「喜び」と「悲しみ」は決して相反する感情ではなく、同時に感じうるものだと知ることで、ひとつ大人になるライリー。
何というか、非常に、心理学的というか文学的というか・・・。

そしてもう一つ面白いのが、もう一人の主人公である、感情の「喜び」。
彼女が、やたら元気なポジティブシンキングガールで、正直、こんな人が身近にいたらウザイな、と思ってしまうレベルなのです。
対して、「悲しみ」はいつも陰気なことしか考えていないのですが、その代わり、他人の悲しみに共感し、そのつらさを癒すことができる。「喜び」は「喜び」だけでは成立せず、「悲しみ」があることによってはじめて輝く。そのことを、映画の中の「喜び」自身が知り、「悲しみ」の価値を認める。大人のヨロコビは、カナシミと表裏一体であるのね・・・。
「悲しみ」は、できれば人生から無くしてしまいたい感情ではあるのですが、やはり人生を十全に味わうためには、そして他人に優しくなるためにも、なくてはならない感情。
これから先、何かを流すことがあっても、それは前に進むための大切な一歩なんだなあと思えます。

このように、非常に内容が濃くまたヘビィなのですが、ピクサーらしいとことんクダラナイ(褒め言葉)ギャグの数々、しっかり声を出して笑わせてもらいましたよ!
特に、危険なエリアで平面や棒になってしまうヨロコビたちの姿、あと「ライリーの理想のボーイフレンド」の決めセリフ「ライリーのためなら死ねる」にも笑った。
ラスト、ライリーに話しかけられて脳内パニックになる男の子も可笑しい。猫の脳内で猫たちが勝手気ままにしているのも好きですw

面白かったけど、欠点と感じられるのは、ヘビィすぎてもう一度見る気になれない所かな・・・。
あと、どっちかというと感情たちがメインの話ですが、もっとライリーがメインな話が見たかった。見ているとどんどんライリーが好きになります。
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