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イザク

Author:イザク
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昔のSF。宇宙とかロボットとかそういうSFっぽいもの。
本一般。映画一般。特撮ヒーロー。仏像。友情モノ。
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封切りになったばかりのアニメを映画館に見に行ってきましたが、・・・
200.jpg

一言でいうと、「違うだろ・・・」と。

普段、ブログを書くにあたって、大好きなもの、良かったもの、ぜひオススメしたいものばかりを取り上げるようにしています。個人的に悪口しか言えないようなものは記事にしないようにしているんです。
悪口ばっかりのブログなんて、読んでも嫌な気分になるだけだものね。
しかし、このアニメ版「屍者の帝国」に関しては、ちょっと否定的な感想を書いてしまいます。嫌な予感がする人は読まないでください。

アニメは10/2公開でしたがそれに合わせて、ここ数日、こんな辺境のブログに「屍者の帝国」の感想を探して訪問する方が多いので(小説版「屍者の帝国」の感想が、検索に引っかかっている模様)、早い時期に自分なりの感想をアップしておかなくてはいけないのではないかと思っていたのです。
映画版が小説とはまったく別の話になっているので、このブログの小説版の感想を読んでくださった人が「あれ? 映画にこんな話、あったけか?」と、混乱するのを防ぐ目的もありますが、何よりもまず、アニメだけを見て「『屍者の帝国』ってこんな話なんだー!」と勘違いする人を少しでも減らすのが自分の、円城ファンとしての責務だと思っております!

映画が原作と全く別物になること自体はよくあることなので、その点に目くじらを立てるつもりはないのですが、原作を愛するものとしては、別物になったらなったで、別物として完成された面白いものに仕上がっていて欲しいのです。
だけど個人的に、この映画は結局何がしたかったのかよくわかりませんでした。
原作のエピローグで、フライデーが今は亡きワトソンへの想いを切々と訴える文章がこの映画のキモになっており、全体のテーマがワトソンとフライデーの友情物語になっているのですが、そう思って見てもやはり、中途半端なのです。

この映画ではフライデーはもともとワトソンの親友であり、早世した友人を屍者としてよみがえらせたワトソンが、英国諜報機関に与えられた任務により、またフライデーの記憶と自我をよみがえらせる為に、ヴィクターの手記を求めて冒険の旅に出る話になっています。
(原作では、フライデーはワトソンに与えられた単なる自動筆記用のツールでしかありませんでした。それが、ワトソンと旅をつづけ苦難を共にして、ワトソンの言葉や行動が彼の中に蓄積されていったこと、また、原作にのみ登場する人間の意識を形作る菌株に(多分)感染したこと、最後にワトソンが自我を失うのを目の当たりにした衝撃、これらが重なってフライデーに自我が芽生えたと私は思っています)

この、ワトソンの動機がそもそもよくわからない・・・。
死者を屍者としてよみがえらせることと、死者の記憶や自我を呼び戻すこととは別の話なんじゃないだろうか?
それって、各自が生きているうちにデータ化しておけよ、って話なんじゃないだろうか?
ヴィクターの手記に書かれた何らかの秘密により、ザ・ワンは屍者でありながら生きているように行動し、喋ることができるという。
しかしザ・ワン(フィランケンシュタインの怪物のこと)は人間による創造物なので、もともと、生前の記憶というものがなく、どんなに生きているように見えても、フライデーの記憶や自我を呼び戻す参考にはならないのでは?
ヴィクターの手記に屍者についての、自分がまだ知らない秘密が書かれているかもしれない、という一縷の望みにすがってしまう気持ち、まあ分からないでもないけど、手記の内容についてもほとんど知らないままに旅に出て周囲を巻き込むのも迷惑な話で・・・。

そして映画を見終わっても、屍者の秘密、というか手記の内容がイマイチ分からない。
原作だと、「人間の意識は菌株によって作られた病状のようなもの」という、驚くべき大ネタが仕込まれているのですが、それも無い。何となく、手記を手に入れたものは世界中の死んだ屍者と生きた屍者を操る力を手にすることができる、らしい。
その力をめぐって、英国諜報員のM、そして最初の屍者であるザ・ワンが、ワトソン一行を利用し権力闘争を繰り広げる。ワトソンは自分の行動がきっかけで世界が破滅するのを防ぐべく、ラスボス(結局ラスボスは、かつて失った花嫁を再び手に入れようとした、ザ・ワン)と死闘を演じ、その野望を阻止する・・・。
こんな感じで、普通にアクション映画としてそれなりに完成度は高いのですが、よくあるパターンと言って言えなくもありません。
また、屍者が「あ~う~」状態で襲ってくるのはゾンビ映画っぽかったです。

で、その後、フライデーの自我を取り戻すことに成功したのか失敗したのかよくわからないワトソンはなんと、自分を生きたまま屍者化する!
この行動に何の意味があったのか・・・?
屍者同志で、フライデーと心を通わせることができるようになるのを期待したのか?
ここで画面が暗転し、エンドロールが始まった時は正直どうしようかと思いました。
が、エンドロールの途中から、原作とほぼ同じのフライデーの独白が始まります。

「ワトソン博士」
 ぼくのペンはそう記す。ぼくのペンがそう記しても、ワトソン博士はもうこの平原に姿を現さない。(中略)それでも彼は、まだこの世のどこかに存在している。この世だけで足りないならば、別の宇宙を含めたって構わない。少なくとも彼の霊素を構成した物理実体は、消える事を許されない。たとえそれが、ちりぢりになったとしたって。

(↑これは原作のほう。映画は少し違っていました)

ここまで来て、「そうか、この二人の生死を超えた友情みたいのを描きたかったのかなあ・・・」ってちょっと納得しかかったのですが、でも、映画の中では生前のフライデーは自分のことを「おれ」って言ってたし、ワトソンとは学友みたいな関係だったのに「ワトソン博士」って呼びかけるのもおかしくない?
原作のエピローグに感動して、その文章をそのまま使ったんだろうけど、そのへんが甘くない?
そもそも、映画の中では最後までフライデーって意識のない死体の屍者だったのに、どうして急にこんなに饒舌に喋りだしたんだろう?

エンドロールが終わると、屍者となったはずのワトソンが、探偵のホームスと共にロンドンの街を馬車で走りまわり、それを双眼鏡で見ているフライデーの姿が一瞬映るのですが、そのシーンも意味不明。
ワトソンは屍者にしては動きが生き生きしすぎているし、フライデーは完全に生者のように見えるし。いつ生き返ったんだろう?
私の集中力が足りなくて、何か重要な言葉やシーンを見落としていて、それでこんなに辻褄が合わなくなっているのだろうか・・・。だとしたら申し訳ないのですが。

あと、言いたくはないがキャラクター設定がキレイめすぎてどうにもBLくさい。
だってフライデーがこの人↓なんですよ~。
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このようなウツクシイ死者がうつろな瞳でドロドロ血を流したりするので、「耽美系グロ」が苦手な私は、ストーリー以前にもう絵で無理っぽかったのです。
ワトソン博士が妙にのっぺりツルンとした顔立ちなのも、他のキャラとの対比で、違う世界観でデザインされた顔のように不自然だったのも最後まで違和感がありました。特に、日本のシーンで出てくる山沢静吾の眉毛の太さも異常で、同じ画面上に並んでいい人物とは思えない(笑)
紅一点のハダリーは設定上、いくらキレイでも色っぽくても問題ないと思います。

画面全体は、19世紀ロンドンが舞台のスチームパンクど真ん中の世界観で、それなりに美しかったです。途中の旅の風景などもいい感じだったし、開国間もない日本に立ち寄る場面も、日本の風景が浮世絵みたいにカラフルに描かれていて面白いです。
ただ、私はCG嫌いなので、ちょっと安易にCGを使いすぎているかなという気もしました。

・・・以上のように、全体として私の評価は低いのですが、映画館からの帰り道、大学生くらいの男の子3人組が、
「でも、面白かったよね」
「うん。これは次作にも期待ですな」
という会話をしていたのが可笑しかった。「期待ですな」っていう言い方がいかにもオタクっぽくてね(笑)
次作、というのはプロジェクト・イトー第二弾のことですね(「ハーモニー」と「虐殺機関」のどちらが先なのかわからないけど)。
伊藤計劃のファンなんだろうなあ・・・と微笑ましく思った次第です。

以上、長々と文句ばかりになってしまいましたが、いち円城ファンの感想として、何かの参考になれば幸いです。

あと、BLネタということで言えば、一番のオススメカプはニコラス×バーナビーだと思うの・・・
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コメント

失礼しました。

先ほど小説版屍者の帝国のブログにコメントさせていただいたものです。
そりゃあブログに書かれますよね(笑)こちらを確認もせず独りよがりなコメントを失礼しました。
私も貴方の疑問とほぼ同意見ではありましたが、映画版はこれはこれでアリかな…とは思っています。
おそらく何度か観れば多少なりとも伊藤計劃氏の原作を決して冒涜しているわけではないとわかる…タイプの映画なのではないかなぁなどと希望的観測をいだいています。
また屍者の帝国は伊藤計劃氏の著作の中でも一番難解なように思います。おそらくあの原作を完全に映画化するにはプロローグ&ボンベイ編、アフガン編、日本編、アメリカ編…とスターウォーズ真っ青のサーガ化になるのではないかなぁと(笑)
今後の虐殺器官・ハーモニーを楽しみにしたいと思います。見終わったら、またこのブログを訪れたいと思っております。
この映画版を機に伊藤計劃氏の著作、ひいてはゼロ年代SF作家の方々の著作がさらに広く世に覚知されることを願って。

Re: 失礼しました。

通りすがりさん、またまた、いらっしゃいませ。

> そりゃあブログに書かれますよね(笑)こちらを確認もせず独りよがりなコメントを失礼しました。

いえいえ、こちらこそ、わかりにくくてすみませんでした。
ところであの最後の映像、エンドロールの途中で席を立ってしまう人がいないかと心配で心配で・・・w

> おそらく何度か観れば多少なりとも伊藤計劃氏の原作を決して冒涜しているわけではないとわかる…タイプの映画なのではないかなぁなどと希望的観測をいだいています。

あははは、通りすがりさんは優しいなあ。
私は正直、駄作だと思っておりまして、もっとキツい言葉でディスっても良かったのですが、まあ個人の意見なので控えました。
伊藤計劃ファンの目から見ると希望を持てる映画なのかもしれないけれど、円城塔ファンの私から見ると、円城塔の想いを無にする改変がなされていたと思っています。

> また屍者の帝国は伊藤計劃氏の著作の中でも一番難解なように思います。おそらくあの原作を完全に映画化するにはプロローグ&ボンベイ編、アフガン編、日本編、アメリカ編…とスターウォーズ真っ青のサーガ化になるのではないかなぁと(笑)

通りすがりさんは伊藤計劃ファンなのですね~。
私は、一応「虐殺機関」も「ハーモニー」も読んだのですが、正直ピンと来なくて・・・。
「屍者の帝国」だけは面白く読めたのですが、それはやはり文章もストーリー展開も円城塔寄りになっているからだと思います。
私にとっては、「虐殺機関」「ハーモニー」のほうがずっと難解なのですけどね(笑)
しかし、「屍者の帝国」がスケールが大きいのは確かで、映画でも、アフガン奥地の苛酷な旅の風景や、異国情緒あふれる日本の様子など、確かに、短いシーンですが見応えがありましたね。

> 今後の虐殺器官・ハーモニーを楽しみにしたいと思います。見終わったら、またこのブログを訪れたいと思っております。

申し訳ない、円城塔にしか興味が無いのでこの2作はDVDになってからでないと見ないと思います。
それにしても、伊藤計劃のファンはいまだに多いなあと感心します。特に若い男性が多いですね。
娘(20歳)の同級生男子もファンだそうで明日、映画も見に行くらしいです。

ではでは。
また何かありましたらお気軽にお立ちよりくださいね~。

ありがとうございます

SFについて身近に話が出来る友人がいないものですから嬉しくてつい、再訪してしまいました。
にわか伊藤計劃ファンの通りすがりです。
なるほど…確かに円城塔ファンからすると映画版は何とも言い難い改変がなされていたのでしょうね…(>人<;)私は不勉強でまだ円城塔氏の著作を読んだことがなかったと思います。冲方丁氏は読んだことがあるのですが(苦笑)お勧めがあれば教えていただきたいです。
自分は映画版は小説の筋書きをなぞりながらも、遺稿のみを見て映画化されたような感じだったように感じました。だからこそ円城塔ファンの方の視点としては美味しいところだけ持ち去って結果全く違うものができたように感じるのかもしれません。それが自分も感じた違和感の正体なのかもしれません。
駄文続きですが、私も決してこの映画版に満足しているわけではありません。ブログ主さんが書かれていた通りフライデーが美少年だったり(原作では黒人だったように記憶しています。これはおそらくロビンソン漂流記に出てくる原住民出身の奴隷がモチーフかと思うのでそれを変えては元も子もない…)、ハダリーがサイボーグだったり(動力が蒸気の時代に何の脈絡もなくオーパーツ出すな(°_°)エジソンの登場にはちょっとニヤリとしてしまったけども…)。
思うままをダラダラ書き綴ってしまいましたが、SF話を出来る友人を見つけた気分になりつい書き込んでしまいました。是非またブログにお邪魔したいと思います。
ではまた(`_´)ゞ

Re: ありがとうございます

通りすがりさん、いらしゃいませ~!

> SFについて身近に話が出来る友人がいないものですから嬉しくてつい、再訪してしまいました。

わあ、私もSFの話が出来る人が身近にいないので嬉しいですよ!
ただ、私がSFを熱心に読んでいたのは、かれこれ40年近く前なので・・・(T.T)
一応、最近のSFも話題作はチェックしているのですが、いかんせん、波長が合わないというか、「昔は良かった。最近のSFはつまらん!」と、年寄りじみた感想を抱いてしまうのです。
伊藤計劃もね、がんばって読んだけど、イマイチ良さがわからない・・・。

>まだ円城塔氏の著作を読んだことがなかったと思います。冲方丁氏は読んだことがあるのですが(苦笑)お勧めがあれば教えていただきたいです

円城塔作品では、「屍者の帝国」はかなり文体も内容も、伊藤計劃寄りになっていますので伊藤計劃ファンには読みやすいかと思います。
個人的にオススメしたいのは「Self-Reference ENGINE」(ハヤカワ文庫版の方が、加筆部分があってより面白い)、「バナナ剥きには最適の日々」(ハヤカワ文庫の短編集。特に表題作は読みやすく、かつ笑えて泣ける傑作)。
冲方丁は「マルドゥク・スクランブル」読んだけど・・・うーん、やはりピンと来なかったです。でも、時代小説だけど「天地明察」は超面白かった! 映画化もされてましたが、そちらも面白かったです。

私が昔感動したSFで、今の若い人が読んでも面白いのって、月並みですがやはり「夏への扉」とか「星を継ぐもの」あたりでしょうか?
個人的には「虎よ! 虎よ!」がオールタイムベストです。

> 自分は映画版は小説の筋書きをなぞりながらも、遺稿のみを見て映画化されたような感じだったように感じました。だからこそ円城塔ファンの方の視点としては美味しいところだけ持ち去って結果全く違うものができたように感じるのかもしれません。それが自分も感じた違和感の正体なのかもしれません。

映画のワトソンはフライデーを生き返らそうとするけど、円城塔は別に「屍者の帝国」に、伊藤計劃をよみがえらせたいという思いを込めてはいません。そこがそもそも最初のボタンの掛け違いで、やってることは近いのに全然違う話になってしまった気がします。
原作の最後でフライデーの意識が立ちあがるのエピローグは、円城塔が伊藤計劃に向けたメッセージだけど、映画ではむしろ死者をよみがえらせようと奮闘するワトソンが円城塔の立ち位置みたいになってしまっているものね。逆になってる気がします。

> 思うままをダラダラ書き綴ってしまいましたが、SF話を出来る友人を見つけた気分になりつい書き込んでしまいました。是非またブログにお邪魔したいと思います。
> ではまた(`_´)ゞ

SFの話はいつでも大歓迎ですよ~!
あと、映画やマンガ、仮面ライダーの話題にも喰いつきます(笑)
また、いらしてくださいね!

はじめまして

>個人的に悪口しか言えないようなものは記事にしないようにしているんです。

”悪口”は確かに見る人の気分を害すものだとは思うのですが、イザクさんの文脈から察するに批評や低評価をも悪口にカテゴライズされてる感がしました。
少なくともこの屍者の帝国に関しての記事内容は、否定的とはいえ決して”悪口”に相当する部類では無いと思います。(勿論慎重に言葉を選んで書かれているとは思います。)

私個人としては、例え辛辣な批評でもその定義に基づいた理由付けがその中身になされていれば、相手下げを目的とした不当なものでない限り、それはちゃんとした評価であり感想であると思っています。
なので上記の文には違和感を感じてしまいました。

揚げ足取りと言われればそうですが、他の方の批評などもそう位置付けるのだろうかと、少し気になりました。

Re: はじめまして

ねーやんさま、はじめまして、いらっしゃいませ~!
お返事が遅くなってすみません。
ちょっと週末忙しくて、チェックできなかったので失礼しました。

> ”悪口”は確かに見る人の気分を害すものだとは思うのですが、イザクさんの文脈から察するに批評や低評価をも悪口にカテゴライズされてる感がしました。

私の書いた文章に真剣に向き合っていただいて、ありがとうございます。
映画でも小説でも、私に書けるのは批評ではなく単なる「個人的な感想」なんです。
読解力も分析力も知識も乏しいけど、好き嫌いは激しいのでw
なので、近しい人同士では「駄作!」にカテゴライズされた作品に対して悪口をいいまくっていて、それが一種の娯楽だったりします。
批評というものは、例えそれが辛辣なものであっても、作品や作家に対して前向きというか「もっと良くなって欲しい」という建設的な愛情が根底にあると思うのですが、私のはほんとにただの「悪口」なのです。
そんなモノをブログにアップして何の意味があるのか、という話ですが、まあ、ブログのいい所はそんな悪口でも書いてもいい、少々無責任な所だとも思っています。どこかの誰かが、「私と同じ意見の人がいる!」と思ってくださればそれでいい、という気持ちで書いています。

> 少なくともこの屍者の帝国に関しての記事内容は、否定的とはいえ決して”悪口”に相当する部類では無いと思います。(勿論慎重に言葉を選んで書かれているとは思います。)

はい、かなり慎重に言葉を選びました(それでもアレですけどw)。

> 私個人としては、例え辛辣な批評でもその定義に基づいた理由付けがその中身になされていれば、相手下げを目的とした不当なものでない限り、それはちゃんとした評価であり感想であると思っています。
> なので上記の文には違和感を感じてしまいました。
>
> 揚げ足取りと言われればそうですが、他の方の批評などもそう位置付けるのだろうかと、少し気になりました。

うーん、むずかしい所ですね・・・。
よそのブログさんなどを見ていると、非常に知的で理路整然とした批評のサイトももちろん多く、参考にもなりますし、「そうだったのか!」と目からウロコが落ちる思いをすることも多々あります。
ただ、どんな作品に対しても批判的な批評ばかりのサイトも時々あって(ただ単に「褒めるのが下手」というだけなのかもしれませんが)、そういう時は読んでいてなんとなく気分が落ちてしまい、その場所を二度三度と訪れなくなってしまうことも事実。

「SFマガジン」のブックレビューのコーナーなどをよく読んでいますが、そこで批判ばかりのレビューというのはほとんど見かけず、どんな作品に対しても「ここが良い」と美点を見出して評価していると思います。で、私はそれを読んで「この人がこういう褒め方をする本だったら、きっと私の好みに違いない」と思って本選びの参考にしています。
私のブログはとりとめのない感想ばかりですが、そんな風に誰かの参考になれば良いな、と思って書いています。

ねーやん様に指摘されると確かに「悪口は書きたくない」という言い方もある意味ちょっと綺麗事というか卑怯なので、いろいろと考えさせられるものがありました。
また、何かありましたらご意見くださいね。

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