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「文藝春秋 3月号」を買ってしまいました。
もちろん、芥川賞受賞作品と選評を読むためです。
「道化師の蝶」に対しては、
「(自分はよく分からなかったけど)、この実験精神を買う」
「こういった新しい手法は評価しないとね」
みたいな、消極的な(受賞への)賛成意見が多かったのですが、その中で光っていたのが川上弘美さんの評。
選評のほとんどを「シュレーディンガーの猫」を例えに使って「道化師の蝶」の印象を語るのに費やしています。
(「シュレーディンガーの猫」というのは、SF読む人なら多分ご存知だと思うのですが「死んでいる状態と生きている状態が重なり合った状態の猫」という、一種の物理学ギャグなのです。その理屈はとても私には説明できませんので、知らない方はどうぞググッたりウィキッたりしてみてください)
以下、川上さんの選評の引用です。

(前略)
「この世界」には、生きている猫もいれば、死んでいる猫もいます。それらあまたの猫を、小説家は書いてきました。ところが「道化師の蝶」は、生きている猫と死んでいる猫だけでなく、死んでいるのと同時に生きていもする猫、をも描こうとした小説なのだと、私は思ったのです。
「道化師の蝶」には、何人もの「わたし」という語り手が登場します。それらの「わたし」は、ことなる人物です。中の三人ほどは、おなじ「わたし」にもみえる。けれど、それらの「わたし」たちは、「死んでいてかつ生きている猫」「死んだ猫」「生きている猫」が異なるのと同様、源を同じくしながら、ことなった人物たちなのです。
(中略)
 作者が過去に書いた小説を、幾編か読んできました。どの時にも私は、「この作者は『死んでいてかつ生きている猫』を描こうとしているのかもしれないな」とは思っていました。けれど、それは成功していなかった。それらの作品は「死んでいて生きている猫ってものが、いるんですよ」とまでは言っていたけれど、その猫の内実までは、踏み込んでいなかった。今回の「道化師の蝶」で初めて私は、「死んでいてかつ生きている猫」が、閉じられた青酸発生装置入りの箱の中で、にゃあ、と鳴いている、その声を聞いたように思ったのです。
(後略)


これを読んでもやっぱりわかんないものはわかんないのですが(苦笑)、でも、「今までの作品は『死んでいて生きている猫ってものが、いるんですよ』とまでは言っていた」、という感じは、なんとなーく分かる気がするんです。
言葉を変えて言うと、今までの作品は、その手法が透けて見えていた、という事でしょうか。
あるいは手法に走っていた、というか。
「道化師の蝶」には、意味は分からないのですが確かに、一編の小説としての自立した美しさがあって、そこらへんを川上さんは「にゃあ、と鳴いている」とおっしゃっている気がします。
一言で言ってしまうと、川上さんはこの作品が好きで、楽しんで読んでいます。
それも、わかる気がします。
それでもまあ、私の感想は前と変わりませんけどね(苦笑)

川上弘美さんって、短編をいくつか読んだだけだったのですが、いきなり興味を引かれましたので、ちゃんと読んでみようと思いました。
そして、田中慎弥の「共喰い」も掲載されているのですがまだ読めていないので、読み終わり次第またここに感想を書きますね~。
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