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イザク

Author:イザク
好きな物・好きな人(順不同)

昔のSF。宇宙とかロボットとかそういうSFっぽいもの。
本一般。映画一般。特撮ヒーロー。仏像。友情モノ。
西尾維新先生。舞城王太郎先生。荒木飛呂彦先生。奥泉光先生。円城塔先生。津原泰水先生。山岸涼子先生。松本大洋先生。三上骨丸先生。白鵬様。食パンちゃん。

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 重く冷たく立ち込めた霧が晴れることは、ひと月のうちに何日もなかった。
 黒い壁をくりぬいて作った小さな窓からは、早朝のうっすらとした霧が入り込み、石敷きの廊下に沈んでいた。
 
 今日もまた、日が昇っても外の景色は見えないだろう。

 ジャッロはそう思いながら、まだ暗い廊下を早足で歩いていた。朝の礼拝の時間である。
 ジャッロは物心ついた時からこの修道院で暮らしているが、未だにはっきりと遠くまで、外の景色を見た覚えがない。そもそも、ジャッロはこの建物の敷地から外に出たことがなかった。

 早朝から就寝時刻まで、数度の礼拝とビショップ様のお言葉を聞く時間、神学の教えを学ぶ時間、清掃や洗濯、食事の支度などの雑務、図書館の本の整備、など、修道僧のジャッロにはこなすべき日課が定められており、少しでもそれらの作業が遅れたり態度が真剣でないと見なされれば、懲罰房で罰を受けた。
 両手を鞭で打たれてそれで終われば幸運といえた。神像の前に跪き両手を組んで千回の懺悔の言葉を唱えさせられる罰が、ジャッロは一番苦手だった。一言でも言葉を間違えれば、更に千回、そのままの姿勢で懺悔を繰り返さなければならない。時間がとられ、次の作業に間に合わなければまたそれもまた懲罰の対象となってしまうのだ。
 だがジャッロはそういう毎日に疑問を持ったことがない。記憶にある限り、ずっとこのような少年修道僧としての生活を続けてきたのだ。ここにいるジャッロと同年配の修道僧たちも、皆、物心ついた時から修道院で暮らしていたものばかりだった。外の世界に何があるのか、という好奇心は芽生えようがなかったし、上級僧たちに、少しでも「外の世界」に関する質問をすると必ず重い罰を受けた。聖なる書物に書かれた事を学ぶ以外に、知識欲を持ってはならないのだ。
 主の教えに従うこと、戒律を守ること、そして過ちを犯した場合は罰を受けること。それが、ジャッロの人生の全てだった。

 その朝、ジャッロが礼拝を終え廊下に出ると、ビショップ様にお声を掛けられた。
 ビショップ様こそはこの修道院を作られたお方である。何百人、何千人もの修道僧をここで育ててこられた偉大なお方なのだ。
 直接話しかけられるのは初めてである。ジャッロは思わず一歩後ろに下り、頭を垂れた。
「わたくしに御用がおありなのでしょうか、ビショップ様」
 ビショップ様はいつもほほえんでおり、その顔からは年齢が読み取れない。お歳を召されていることは確かだが、五十代であっても九十代であってもおかしくはなかった。。
「ジャッロ君といったな。図書館の整備は、いま、君が担当しているのじゃな」
「さようでございます、ビショップ様」
「古い本の補修も君がやっているのだね。とても上手じゃ。最近、図書室に行くのが楽しみでな」
「もったいないお言葉でございます、ビショップ様」
「ところで、・・・」
 老人は言葉を切り、ジャッロを底光りする眼で見た。ジャッロの身体に震えが走った。ビショップ様が自分を呼び止めたのは、ちょっとした気まぐれではなかったと分かったのだ。今、この老人は重大なことをジャッロから聞き出そうとしている。そのために自分を呼び止めたのだと。
「図書室の一番奥の本には触っていないじゃろうな」

 ジャッロは安堵した。ビショップ様が言っているのは、水晶でできた箱に納められた真っ黒い表紙の書物のことだ。ジャッロには読めない奇妙な文字が表紙に書かれているが、その意味は「世界の秘密」なのだと聞いたことがある。
 ジャッロが数か月前に図書館の整備と清掃の担当になった時、真っ先に言われたのが、この本に触れてはならない、という事だった。本どころか、清掃のために水晶のケースに触れる事さえ上級僧の許しを得なければならなかった。
 ジャッロにとって定められた戒律を守ることはまったく疑問の余地もなく、当然のことだったので、ビショップ様からこの本に触らなかったか、と聞かれた時、何の迷いもなく答えることができた。
「主の御名にかけて、指一本触れておりません」
 老人はジャッロの落ち着いた声と態度を見て、眼差しを少し和らげた。
「そうか。それならばいいのじゃ。ただ最近、誰かがあの本を開いているようなのじゃ。気のせいかもしれんがの。ジャッロ、お前もよく気を付けて、あの箱が少しでも動いていたり指紋がついていたりした時はすぐに教えるのじゃ。よいな」
「しかと承りました」
 ジャッロは深々と頭を下げた。
 身体を起こしたときには、老人の姿はもう廊下にはなかった。

 ジャッロの身体から、緊張が解けた。その時になって初めて、ジャッロはビショップ様のおそば近くに立っていた時、ビショップ様の身体から発せられる気配に、自分が圧倒されていた事に気付いた。
 ビショップ様は、他の上級僧たちとはまったく違う空気をまとっていた。ジャッロは、その空気に、以前どこかで触れたことがあるような気がした。だが、それは思い違いだろう。ビショップ様からじきじきにお声をいただくのは今日が初めてだし、過去の事を振り返ってみても、何年も何年も、毎日同じ、戒律に定められた日々を送っていた記憶しか出てこないのだった。


 その日、本の整備のために図書室に入ったジャッロは、まず図書室の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 ジャッロは、本が好きだった。ここに並ぶ本はどれも、主のお言葉と、そこに秘められた謎を解き明かそうとするものばかりだったが、上質の革で張られた表紙に金箔で押された書体の美しさは、つかのまジャッロに変化のない毎日を忘れさせた。
 だが今日のジャッロは他の本には目もくれず、まっすぐ一番奥の水晶の箱へと向かった。ビショップ様から直接、ご注意をいただいているのだ。気になるのも当然だった。
 箱を目にしたジャッロは、思わず、あっと声をあげた。

 水晶の箱が開いていた。固く禁じられているはずなのになぜ、一体誰がこの箱を開けたのだろう。
 ジャッロは恐る恐る、箱を閉めようとした。すぐに上級僧に報告に行くべきなのは分かっていたが、箱をこのままにして黒い本を外の空気にさらしたままにしておくのもはばかられた。それに箱が空いたままでは、万一、自分がこの場を離れた隙に誰かがこの本を手にとらないとも限らない。やはり、閉めておいたほうがいい。
 ジャッロが水晶の箱に手を触れようとした時だった。

 ジャッロはあるものに気付いた。
 箱の中の黒い本のページの間に、小さな紙がはさまっているのだ。
 水色の、細長い紙だった。本のしおりとして誰かがそこにはさんでおいたのだろうか。
 ジャッロは毎日この本を見ているが、主の御名に誓って、昨日までこのような紙を見たことは一度もなかった。
 ジャッロの心臓が、身体ごと揺れるのではないかと思うほどに激しく脈打ちはじめた。
 ジャッロは、黒い修道服の内ポケットから、静かに薄い手袋を取り出して、ゆっくりと両手にはめた。そして、黙ったまま周囲を見回し、図書室に自分しかいないのを確認した。
 ジャッロは、そっと手を伸ばし、黒い本を手に取った。そして、唇を固く結んだまま、水色の紙がはさまったページを開いた。
 
 本の中の文字は、横ではなく縦に並んでおり、表紙に書かれているあの不思議な文字と同じでジャッロには何と書いてあるのか分からなかった。
 何ページも文章が綴られたあとに、問題の水色の細長い紙が貼られた箇所があった。
 そこには、こう書かれていた。

 ジャッロは、そっと手を伸ばし、黒い本を手に取った。そして、唇を固く結んだまま、水色の紙がはさまったページを開いた。 

 そしてその文章のあとは、白紙だった。
 ずっと後ろのページまで、何も書かれていなかった。
 
 ジャッロは、自分が触れてはいけない秘密に触れてしまったことをはっきりと感じ取った。
 このような文字は知らないはずなのに、なぜかジャッロには、この文章が今の自分のことを書いていると分かるのだった。激しく混乱する頭でジャッロは、この本がまさしく世界の秘密について語っていることを直感した。
 ジャッロは息を殺し、そっと本のページに貼られている水色の細長い紙を剥がした。紙は、弱い糊が付いていたらしく、わずかな抵抗を示してから簡単に剥がれた。
「ぽすといっと」という言葉がジャッロの脳裏に浮かんだが、もちろん意味は分からなかった。

 ジャッロは小さな紙を黒い修道服の胸の内ポケットにしまい込み、箱の蓋を閉めてから、足早に図書室から出た。ビショップ様の部屋に向かう前に、修道僧たちの居室に戻り、この水色の紙を自分の私物のどこかに隠そうと思った。

 枕元の、聖なる書物にはさんでおこう。それならおそらく、誰にも気付かれまい。

 心臓はまだ早鐘を鳴らし続けている。
 廊下の前のほうから、ジャッロと同じ年恰好の修道僧が二人、やってくるのが見えた。
 ロッソとアッズッロだった。ジャッロと同じく、子供のころからすっとここにいる二人は、普段はジャッロの話し相手だった。
 だが、今は誰とも口を利きたくなかった。ジャッロは目線を下げ、早足で二人の脇をすり抜けようとした。その時、ロッソがジャッロの肩をつかみ、話しかけてきた。
「ハル。水色の紙を見たか?」

 心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃とともに、ジャッロは反射的に振り返って二人のほうを見た。二人とも、真剣な顔をしている。
「な、なんの事でしょう」
 ジャッロはかろうじてそれだけ口にした。
 ロッソはまだジャッロの肩口をつかんだままで言った。
「黒い本のことだよ。見なかった?」
「わ、わたくしには何の事だかさっぱり・・・」
 二人のやりとりをじっと見ていたアッズッロが、手を伸ばしジャッロの肩からロッソの手をはずした。
「駄目だな、ケンタ。こいつ、何も分かっていないよ。やっぱり術をかけた奴を倒さないと、術は解けないんだ」
「そうか・・・。ハル、もうちょっと待ってろよ、オレらで何とかするから。マキコさんも心配しちゃって大変なんだよ、早く戻ってこいよ」
 意味の分からない言葉を続けるロッソに、アッズッロが低く、シッ、と言って目配せをした。廊下の向こうから、上級僧が歩いてくるのが見えた。二人は何事もなかったかのように、ジャッロに軽く目礼すると廊下を歩いていった。
 一人、取り残されたジャッロは、懸命に身体の震えを隠して、二人とは逆方向に歩き始めた。

 自分のベッドのある修道僧たちの居室に向かい、通路の奥の渡り廊下にさしかかったジャッロは、またも驚きの声をあげた。
 渡り廊下が、なくなっていた。
 黒っぽい石造りの、窓の少ない廊下は完全に姿を消して、目の前には星のない夜空のようなぽっかりと暗い空間が広がっているだけだった。足を踏み入れたら、地の底まで落ちてしまいそうだった。ジャッロは思わず一歩、後ずさった。
 その時背後に、ひんやりとした気配を感じ、ジャッロは振り返った。
 ビショップ様だった。
 いつの間にか、ジャッロのすぐ後ろに立っていらした。
 ジャッロの脳裏を、既視感、ともいうべきものがよぎった。ビショップ様の独特の気配、身にまとった、ひんやりと冷たい空気を、ジャッロは以前にどこかで感じたことがあった。今は思い出せないが、確かに、ビショップ様と同じ空気をまとった人物を自分は知っている、そう思った。
 だが今は、そんな事を考えている時ではなかった。
「ビショップ様。これは、一体、・・・」
 考えがまとめられず言葉を切ってしまったジャッロを、ビショップ様はとがめるも事もなく、少し面白がっているような口調で言った。
「もうここまで来よったか。ナイトの奴の言うとおりじゃ、なかなか賢いな、お前の仲間達は。・・・ジャッロ、黒い本を読んだのか」
 いつもなら即座に、読んでいない、と口にしただろうが、立て続けに起こった出来事に、ジャッロの思考も麻痺していた。ジャッロはありのままをビショップ様に伝えた。
「はい、読みました。箱の蓋が開いていて、中に水色の紙がはさんでありました。本の文字は読めませんでしたが、今の自分のことを書いてあるように感じました」
 そう言ってジャッロは、胸のポケットから水色の紙を取出し、これです、と言ってビショップ様に手渡した。
 ビショップ様はその紙を指先でつまみ、ちらりと見てからフンと鼻で笑った。
「・・・もう長続きはせんじゃろう。話してやろうジャッロ。お前の仲間達、ロッソとアッズッロのことだが、今、コイワで黒い本と戦っておる」
「はい、ビショップ様・・・?」
「黒い本が勝てばお前はこの先もずっとこの修道院で私に仕えるのじゃ。お前の仲間が勝てば、お前は元いた場所に戻る。コイワにな」
「ビショップ様、わたくしはずっとここにおりました! それに、黒い本は図書室にございます」
「あれは、黒い本の影じゃ」
「影・・・」
「まあ、今のお前に言っても仕方がない。黒い本は苦戦しておるようじゃ、お前はコイワに戻るじゃろう。見よ、この建物もそろそろ限界が来たようじゃ」
 ビショップ様の視線を追ってジャッロが目を上げると、高い天井のそこかしこが、あの夜空のような黒い空間に食い荒らされたようになっていた。
「もうこの空間には、私とお前しかおらん。他の修道僧たちもみな消えた。今回はここらで私も、消えるとしよう。またいずれ会うじゃろう、さらばじゃジャッロ。いや、サンイエローのハル!」
 ビショップ様はそう言うと、煙のようにその場からかき消えた。

「ビショップ様・・・!」
 ジャッロは何もない空間に向かって叫んだ。声は全く反響せず、黒い空間に吸い込まれて消えて行った。
 ジャッロは立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。
 わずか数時間のうちに、今までの自分を支えてきたものがすべて崩れ去ってしまった。
 自分は、何か間違ったことをしたのだろうか。あの黒い本を読んだことは、それほどの、世界を崩壊させるほどの罪だったのだろうか。
 ハルという名前は何なのか。なぜ、ロッソもビショップ様も、自分のことをそう呼ぶのか。
 
 ・・・あの黒い本をもう一度読まなければ。あの本こそが、すべての謎の中心にある。

 ジャッロはそう思い、立ち上がった。まだ残っている廊下の敷石を踏んで、図書室に向かった。ジャッロが通り過ぎるそばから、背後の壁も廊下も黒く溶解していった。
 
 図書室にたどり着いたジャッロの目の前に、もう図書室はなかった。
 黒い空間がただ広がり、そこにあの黒い本がただ一冊、中空に浮かんでいた。 
 ジャッロが言葉を失って立ち尽くしていると、黒い空間の中に輝く霧があらわれ、その中から二つの人影が姿を現した。
 全身をぴったりと覆う、なめらかな生地の服に身を包んだ二人だった。顔は、丸い金属のような素材でできた球体に覆われていた。その球体まで含めて、向かって右側の人影は全身が真っ赤で、左側の人影は全身が青一色だった。
 
 ジャッロは、異様な外見の人影に怯え、後ずさった。
「ああそうか。分かんないのか」
 右側の、赤い人影がそう言って、両手を伸ばし頭部を覆った球体を上に抜き取った。
「・・・ロッソ!」
 赤い服に身を包んだ人物は、ロッソだった。隣りで、青い人物も球体を抜き取った。現れた顔は、アッズッロの顔だった。
「なあハル、やっぱり、お前の力が必要なんだ。こっちに来てくれ」
 ロッソは真剣な目でジャッロをまっすぐに見つめ、そう言った。
「ロッソ、アッズッロ、なぜ、このような事を・・・? 世界が崩壊しているのは、あなたがたの仕業なのですか? ビショップ様が、そのような事をおっしゃっていました。黒い本を読んだのは、あなたがたなのですか?」
 アッズッロは首を振った。
「ケンタ、駄目だって言ったろう。あのブクブク野郎を倒さないと、こいつ永久にこのままだぜ。強制的に連れていくしかないんだよ。チェンジャーを持ってきて、正解だったな」
 そう言ってアッズッロは、銀色と黄色の金属のようなもので出来た小さな細長い機械を取り出し、立ちすくんだままのジャッロの右の手を取ってその手首に押し当てて端と端を合わせた。カシャッ、っと音がして、銀色の機械はジャッロの手首に巻きついた。
「ハル、いや、ジャッロ。お前がおれ達のことを怪しいと思って疑っているのは分かる。だけどお前、自分が今立っている世界を良く見てみろよ。こんな薄っぺらい世界に、この先ずっと暮らすつもりなのか。窓の外を見たこともないんだろ? いいかジャッロ、その手首の機械は『チェンジャー』だ。お前は向こうの世界で、この機械で変身することに何よりも喜びを感じていた。黄色いスーツを着るんだ、ジャッロ。それがお前の、本当の世界、本当のリアルなんだ」
「や、やめてください・・・! あなたがたはいつから背信者になったのです? わたくしの世界とは何ですか。世界はたったひとつ、主の作りたもうたものでしょう?」
「念のために録音も持ってきておいて、正解だったッスね」
 ロッソがそう言ってジャッロの右手をつかみ、自分の右手と並べて、手首にある銀色の機械のどこかを指で押した。
「チェンジ!」
 ロッソの機械から、ジャッロ自身の声が流れ出てきた。ジャッロは驚いたがその時にはもう、目の前を輝く霧が包んでいて、その霧が晴れると、ロッソの右手と並べられた自分の右手はロッソやアッズッロの身体を包んでいるのと同じ、なめらかで光沢のある生地に包まれていた。生地の色は、目の覚めるような鮮やかな黄色だった。
「ハル、思い出せよ。お前はサンイエロー、オレたちと一緒に戦ってきた、小岩戦隊の一員だろ。・・・いや、今は思い出せなくてもいいからとにかくオレらと一緒に来てくれよ」
「コイワ・・・。ビショップ様が言っていらした、コイワのことですか」
「そうだ、ジャッロ。いいか、この本を見ろ。お前にはこの字が読めるはずだ。奇妙な文字に見えるのは、そういう『設定』だからだ」
 そう言ってアッズッロが目の前に差し出したのは、あの黒い表紙の本だった。
 ジャッロは本のページに目を落とした。そこには、こう書いてあった。

 ジャッロは本のページに目を落とした。そこには、こう書いてあった。


 そして更にその横に、手書きの文字でこう書かれていた。

 その本のページは異世界への扉だった。ジャッロは、ブラックホールに吸い込まれるようにして、いつの時代のものかも分からぬ古い修道院の図書室から、二十一世紀の小岩図書館の「こどものへや」へとワープした。

 ジャッロは眼を見張った。
 ジャッロが毎日整備をしていた図書室は、黒い本棚にぎっしりと、革張りの本が並んでいた。本の背表紙は褐色や臙脂、黒、などがほとんどだった。
 だが、今ジャッロの目の前には、色とりどりの背表紙の本が、いくつもの背の低い本棚に並んでいる部屋が見えていた。奥のほうには絨毯がひかれた、床が少し高くなった一角があり、壁には鮮やかな色彩の色紙を切り抜いて作った、絵や文字が並んでいた。ここにある文字は、黒い本に記されているのと同じ、奇妙で不思議な文字だった。
 そして、それよりも更に驚いたことに、この部屋には黒と白に塗り分けられたような、異形の怪物の姿があり、その怪物と、赤と青の服を着たロッソとアッズッロが剣を手に激しく戦っているのだった。

 黒と白の怪物が口を開いた。
「なにっ、黄色いのがこっちに来たバクか? ええい、もうまだるっこしい事はやめるバク、一気にカタを付けてやるバク!」
 そう言って怪物が手を振ると、棚におさまっていた色とりどりの本がいっせいに空中に浮かびあがり、すさまじい勢いでジャッロとロッソ、アッズッロの三人に襲い掛かった。
 ジャッロはとっさに、ジャンプして本の直撃をかわした。自分でも驚いたことに、ジャッロの身体は天井近くまで飛び上がり、そこで半回転して壁を蹴り、方向を変えて怪物の頭部に蹴りを入れる動きを見せた。
 床に着地したジャッロは、自分の動きにとまどった。
「わ、わたくしは今、いったい、・・・」
「うまいッスよハル! 思い出さない? ハルってそのスーツを着てるのが大好きだったじゃん、思い通りに動けるから、って。あのさ、こいつ、バズーカじゃないと倒せないんだけど、図書館じゃ炎も水も使えないんだよ。本、燃やしたり水びたしにしたりできないだろ? 区長も小谷さんも、そんな事になったら大変だよ。だからハル、お前のサンダーバズーカでやっつけて欲しいんだよ」
 棚の陰に身を潜めて本の襲撃をかわしたロッソが、ジャッロに向かって大声でそう言った。
「さんだーばずーか・・・?」
「そうだハル、お前の武器だ。重くて、起動に時間がかかって、撃ったあとは体力を消耗しすぎて腰が抜ける、でも威力抜群の武器だ。お前がその武器を使って、あのブクブクを倒すんだ」
 同じく棚の陰から姿を現したアッズッロが、ジャッロにそう語りかける。
「ブクブクじゃないバク、ブックバクだバク! 名前も憶えないとは、甘く見られたものバク。そいつはまだ、オレの術にかかったままバク、今なら簡単に倒せるバク!」
 そういうと怪物は、ジャッロに向かってものを投げるような動作をした。
「ハルッ!」
 ロッソの叫び声が聞こえた。怪物の手からは光の球がジャッロに向かって飛んでくる。
(あれはエネルギー弾だ。ソードを起動して弾けばいい)
 ジャッロの脳裏に、一瞬の閃きのように思考のかけらがよぎったが、ジャッロはそれを意識することはなかった。ジャッロの身体は反射的に、剣を構えその球を弾き返した。
「ああ、また・・・! わたくしは、わたくしの身体はなぜ、勝手に動くのでしょう?」
「ハルの身体とそのスーツ、相性バツグンって事でしょ! さあ、オレらがあいつの動きを封じるからその隙に、サンダーバズーカ、起動してよ。で、撃つ時は声かけて。分かるよな?」
「なんですって。さんだーばずーか、きどう・・・?」
 ジャッロがそう、ロッソの言葉を繰り返した時、とつぜん右腕ががくんと重くなった。見ると、ごつごつした重たそうな機械を右手が握っていた。
「そう、それだよ! そいつを肩にかついで、そうそう・・・、それで、目の前に小さい四角い枠があるだろ? そこが黄色く光ったら、人差し指を引くんだ」
「ケンタ、こっちを手伝え! そんなに詳しく説明しなくたって、スーツが覚えてるはずだ、ハルに戦う意思が残っていれば。もし残っていなければ、何を説明したって無駄だ、ここの本を全部燃やすしかない」
 怪物と一人で戦っていたアッズッロが振り向きざまにそう叫んだ。アッズッロの劣勢を見てとったロッソは、了解、と短く言って、アッズッロの加勢に向かった。
 ジャッロの目の前で、機械に開いた四角い枠の中の黄色い光がどんどんその量を増していった。すぐに、光は枠いっぱいになった。これが、ロッソの言っていたことなのか?
 だが迷うことなく、ジャッロの身体はまたもジャッロの意思とは無関係に動いていた。ジャッロは自分の口が開き、行きますよ、と言うのを聞いた。そしてその言葉に応じるように赤と青の二つの人影が左右に飛び退るのとほぼ同時に、人差し指に力を込めて機械の引き金を引いた。

 雷の落ちる時によく似た音がした。
 怪物が断末魔の悲鳴とともに爆発するのが見えた。
 黒煙が部屋に立ち込めたが、すぐに煙ははれて、後に何も残っていないのが分かった。

 それから、ハルはひどいめまいに襲われて前のめりになって倒れた。
「ハル! 大丈夫か!?」
 ケンタとシュートが駆け寄ってきてハルを仰向けにして抱き起した。
「ああ・・・なんか今、僕、すごい変な気分です・・・」
「ハル・・・? ちゃんと、ハルに戻ってるのか?」
「そうですね、僕、ジャッロっていう名前でしたね・・・。大丈夫です、今は、ハルです」
「気分悪いだろ・・・。お前、三日も寝たきりだったんだぜ? 点滴だけでいきなりバズーカはキツいよな・・・。悪かった、オレらだけで何とかしようとしたんだけど、あいつ、図書館の本を全部、自分のものにしちまう術を使ってたんだよ」
「図書館の本を借りて読んだ人間は、その本の中の世界に取り込まれてしまうんだ。それで、眠り続けて、本の中の世界で暮らす夢を見る。その夢を、あのブクブクが食べる」
「ブックバク、って自分で言ってましたよ・・・」
「ああそうか、夢を食べるからバクなのか。だから白黒だったのか。まあいい、とにかくお前が眠り続けて起きてこないんで、病院に連れていって診てもらったが、何の異常もないって言われた。ただ、眠り続けているだけだって。で、病院で、眠り続ける患者は今日、これで十人目だ、って言われたんだ。おかしいと思ってお前の部屋を調べたよ。そしたら、枕元にあの黒い本があった。中を見たら、あの変な修道院で暮らしているジャッロという名前の男の話だった。しかも、途中までしか書いてない。でも、ビショップ様だの、ジャッロだのと言う名前は、お前が見ている夢に関係あるんだろうと思った。だってお前、眠りながら時々寝言を言ってたからな」
「ハルが前の日に図書館で本を借りてきたのは知ってたからさ、あの黒い本と何かつながりがあるのかな、って思ったわけ。それで病院に戻って、眠ったままの人たちの名前と住所、教えてもらおうとしたら、個人情報だ何だってうるさいから、オレが廊下で騒ぎを起こして、シュートがその隙にカルテ見て、とか色々大変だったけど・・・」
「まあ結局、眠り続けているのは小岩図書館の『こどものへや』で借りた本を読んだ子供たちだった、って事が分かったわけだ。ハルは大人なのに何で眠っているのかは分からなかったけど」
「僕、『ゲド戦記』の二巻を借りて読んでいたんです。あれ、児童文学だから・・・」
「そうか。子供は本の世界に入り込みやすいからな、子供たちの枕元にも、黒い本があったんだ。あのブクブクの能力は、図書館の本を黒い本に変えてしまうんだ。本の中身は、いろいろだったよ。ファンタジーとか、歴史ものとか。ただ、どの本も途中までしか書かれていないんだ。それで、本を閉じてしばらくしてまた開くと、その続きが書き込まれている。つまり、本の中の世界は、夢の中の世界とシンクロしてるって事だ」
「だから博士に頼んで、オレらの意識とハルの意識と同調させる装置、作ってもらって、ハルの夢の中の世界に入ってみたりしたッスよ。そのへんからは、ハルも知ってるでしょ? 黒い本にポストイット貼ったのもオレらだし」
「ちょうどそのころ、図書館にあのブクブクが現れた。おれとケンタで、一度は撃退したけど決め手がなくて、逃げられた。やっぱりお前のサンダーバズーカじゃないと勝てない、そう思ってまた、夢の世界に戻った。お前を連れて帰るつもりで、お前の身体だけは図書館に前もって運んでおいたんだ。お前が小岩図書館に戻るための文章を黒い本に書き込んだのは、おれだ」
「・・・なんだか僕、頭がぐらぐらしてきました・・・」
「あっ、悪ィ、ハル! 三日三晩、飲まず食わずだったんだよな! こんなとこでうだうだ解説してる場合じゃないじゃん! シュート、マキコさん呼んで、車で迎えにきてもらおうぜ! まずこいつに何か食わせないと」
「そうだったな。すまない、ハル。いきなりこんな話されて、混乱しただろ? お前、あの本の中で、生まれてからずっとあそこで暮らしていたことになってたもんな」
「そうですね・・・今思うと、なんであんな雑に書かれた世界で疑問も持たずにいたんだろうって、不思議に思いますね。僕、子供のころ、本の中の世界で暮らしたいなあ、ってしょっちゅう思ってたから、そのせいなのかな。・・・それにしても、ほんとに内容のない本でしたね。僕ならもっとうまく書きますよ」


 ・・・車で駆けつけたマキコが、大騒ぎのあげくにハルを本部に連れ帰り、絶食の後はまずこれを食べないといけないのッ! と言い放って水のように薄い粥を作って食べさせたり(ハル曰く「空腹感が十倍くらいになりました」)とか、ハルの話を聞いたケンタとシュートが、ビショップという奴はどうも、ナイトと同じく幹部らしいな、などと話し合ったりとか、「こどものへや」に散乱した絵本を小谷に呼び出された二人が片づけに行ったりとか、はるちゃん目が覚めたの、良かった、と言いながらハルの美しい姉、史織がやってきて本部が大混乱に陥ったりとか、まあその後いろいろあったけれど、それはまた別の話。
 別の本で、読んだらいいよ。


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前にこのブログで紹介した、「神の左手」の世界がなかなかいい感じだったので、ちょっと真似して、「ゴシック修道院もどき」な世界を目指してみました~。
最後の方に出てくる「ゲド戦記・第二巻」も、神殿にとらわれ、巫女として暮らす少女の目覚めの物語です(私のバイブルの一冊でもあります)。
何の宗教かを特定できる単語(例えば、十字架、とか)は一応、使っていません。そのへん、深入りするときりがなさそうだし、自分、何の知識もなくてただ雰囲気を借りたかっただけなので。

ジャッロ、ロッソ、アッズッロというのはそれぞれイタリア語で、黄色、赤、青、の色名です。
これもただ、雰囲気を出したかっただけ(苦笑)

一話ごとに視点を変えて書くのはなかなか面白いです。もっと、いろんな語り口で遊んでみたいですね。
「小岩図書館」にはもちろん、「こどものへや」もあります。この話とは一切関係ありませんが。
私も児童文学好きなので、よく足を運びますよ。
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